1992年生まれの自分が物心ついた頃には、
安孫子先生は既にコンビを解消した「藤子不二雄A」として活動しており、
幼い頃の自分も「藤子A先生は『ドラえもん』を描いている人とは別の人」という認識でした。
『藤子不二雄ワイド』の放送もとっくの昔に終わっていた1990年代生まれの自分としては、
アニメの『ドラえもん』から、藤子不二雄先生および、藤子作品の存在を知り、
その後小学生になってから、藤子不二雄A作品に興味を持ちはじめる・・・といった流れだったことを記憶しています。
これまで「あまり自分の実年齢を知られたくない」という理由で、
ブログやツイッターなどでは、自分の年齢が上であるようにゴマかしたり若干のウソをついていたりしていたのですが、まあ、今は許してください。
そんな自分が藤子不二雄A先生の作品に出会ったはじまりは、
小学校低学年の時に、コンビニで売られていた『笑ゥせぇるすまん』『ブラックユーモア短編』の単行本を読んだところからであり、
そこから、数々の作品を通して、自分の人生にさまざまな知識や気づき、楽しい時間を与えてもらいました。
本当に冗談なしで、藤子A先生の作品は今の自分にとって、大事なパーツのひとつとなっていて、
藤子A先生の作品と出会っていなければ、自分の人生は、今とだいぶ違ったものになっていたはずです。
他にも思うこと、伝えたいことはいろいろとあるのですが、
自分の下手な文章ではウソっぽく、安っぽくなってしまったので、ここまでにさせてください。
上の文章もうまく言葉になっておらず、本当にすみません。
まったく思いを伝えられなかった。
「ご冥福」という言葉には、
場合によっては悪い意味も含まれていると聞いたことがあるので、あえてこの記事では使わないでおきます。
藤子不二雄A先生、今まで本当にありがとうございました。