コメント思いつかないから、
今日は「コピペOK!」って書いてあった読書感想文のサイトに載っていた文章のコピペでも貼っておこう。
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「走れメロス」は人物の感情と時代背景が簡潔な力強い文体で表現された、太宰治の明るく健康的な面を代表する短編である。多くの教科書に採用され、また劇にも仕組まれるなど、彼の作品の中でも最も知られている作品ではないだろうか。
しかし、この作品は単に明るいだけではなく、不安の中から迷い、絶望し、苦しみに耐えて、初めて芽吹いた明るさであり、信頼する心であり、友情であるところにこの作品の深い感動があるのだろう、と僕は思う。
この作品は「人間の信頼と友情の美しさ、圧政への反抗と正義」が主題となっているが、これらは、僕たちの「青春と社会・学校への矛盾点への抗議」というものに置き換えることができるのではないだろうか。そして、太宰治はこの作品を通して若い僕達に何か重要なことを伝えたかったのではないか、と僕は思う。
今、僕たちの年頃は「反抗期」だと呼ばれる。しかしそれは、自分たちに芽生えた自我であり、正義感であり、またいろいろな心の変動なのだ。そして、不器用にしかできないが、大人に対して、社会・学校などに対する抗議の表れなのだ。
僕たちの年頃なら誰しも必ずこんな思いは少なからず持っていることだろう。メロスは、そんな僕たちを象徴するかのように社会・政治の矛盾に勝てるはずがないのにもかかわらずたった一人で立ち向かっていったのだ。結果はともあれ、そんなメロスが自分たちのように思え、とてもうれしく思うことができた。
僕はメロスに、信頼する心、自分の意志を最後まで貫くことを考えさせられた。しかしどうだろう、この社会は・・・。身の回りでは嘘と裏切り、影口ばかりあふれて、信頼する心がなくなっている。そしてまた、自分の意志なんて弱いもので、すぐにころころと変えてしまう。だから、中途半端なままになり、何事も成功しないのだ。もし、強い意志があり最後までその意志を貫くことができれば、きっと、成功すると思う。今の社会では、他人をけとばして自分がのし上がる時代。外見がよくて、学歴があれば何事もうまくいくのだ。正義・真実なんかこんな社会の仕組みからすれば世間知らずの戯言にすぎないのかもしれない。しかし、こんな時代、社会だからこそ、正義や真実、信頼する心が重要であり必要なのだと思う。
嘘をつき、友を裏切り、汚い手を使ってまで人の上に立ったところで、残るのは何か。その結果、ふところが暖かくなり、一時的に人も近づいてくるだろう。しかし、何かが起こり、すべてを失ってしまえば、何もかも冷たくひえきってしまうだろう。
友と過ごした日、涙を流したり、くじけそうなとき気がつけばいつも支えてくれ、楽しいときもうれしいときも悲しいときも一緒になって笑い悲しんでくれたあの日の思い出。これこそ金にかえることのできないかけがえのない一生の宝物ではないのか。
僕はメロスに損得勘定のない純粋な人間の信頼と友情の美しさをまざまざと教えられた。そんなメロスがこんなことを言っている。
「信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わないは問題ではない。もっと恐ろしく大きなもののために走っているのだー。」
要するに大切なのは結果ではなく、その経過であるということで自分の意志を貫くためにどれだけ頑張ることができたか、ということなのだと感じた。
自分はなんのために生まれてきて、何をするために生きているのか。今何ができるのか、何を創り出すことができるのか。守るべきものは何か。ということを見付けていくことが答えであり、人生というものなのだと思う。
人間だから失敗や過ちは必ずある。また自分の道を妨害する数々の障害や誘惑もある。しかし、それに打ち勝つことが出来ず、投げ出してしまえば夢も希望もなくなってしまう。人間はとても弱い。しかし、一人ではない。いつも誰かが見守り、支えてくれる。自分を信じ頑張っていけば回りの人も助けてくれて必ずうまくいく。最初から思うようにいかないと思うが、そうすればメロスのような深い感動を得ることが必ずできると僕は信じている。僕にこんな素晴らしい感動を与えてくれたメロスに心から感謝したい。
この作品のテーマは永久の人間のテーマであると思う。だからこれからも多くの人々にこの感動を伝えるため、末永く読みつがれることを僕は願っている。